過去と未来の距離について
昨日ジュラシックパークが地上波で放映されているのを見かけた。恐竜サウルス※で育った人間としては彼らの欲動感溢れる映像だけでも心が踊る。
※恐竜サウルスはかつてディアゴスティーニが発刊していた恐竜をテーマにした週刊誌だ。毎週発光する骨が届き、最終的には光るティラノやトリケラが完成する。なぜ骨を光らせようとしたのかはわからない。
ところで「ティラノサウルスには羽毛が生えていた」という一時期世間を騒がせた説が「やっぱり生えていなかったのではないか」とまた振り出しに戻りつつあるらしい。「結局よくわからん」というのが最近の見解のようだ。
かと言って前に進んでいないかというとそうではないだろうし、素人にはよくわからないけど、羽毛説が提唱される以前とは次の次元での「よくわからん」なのだろうと思う。
とにかくいろんなことが研究され解明されていく。鎌倉幕府の始まりも現在の教科書では「いい箱(1185)作ろう」とされている。いい国を志したはずの源頼朝は今やいい箱を作る工作おじさんとして紹介されているのだ。
こうやって少しずつ歴史の真実に近づいていく様は見ていて楽しい。未来になればなるほど過去に近づいていくのだ。こうしてどんどん過去と未来との距離がなくなっていき、終いにはふたつの距離がゼロになる。ゼロになった日、それはタイムマシンが完成した日なんじゃないだろうか。
すぐ寝る店主のハンバーグ屋
ふいに新宿で何度か訪れたハンバーグ屋のことを思い出した。味は確かだけどすぐに寝てしまう店主がやっていたハンバーグ屋だ。
その店はJR新宿駅東口から少し歩き喧騒も落ち着く頃合いにちょこんと建つ古いビルの2階にあった。やたら角度のついた階段が待ち構えるそのビルは、何も知らず入るには少し勇気のいる場所だろう。
店主は多分50も半ばくらいのおじさん。おじさんの作るハンバーグはとても美味しかった。和風ハンバーグが好きだったのでそればかり食べていたが、ホワイトクリームのハンバーグもピンクペッパーがアクセントになっていたりと存外に小洒落ていて人気メニューだった。食後にはコーヒーが出され居心地もいい。ジュースは「J」と表記する。「オレンジJ」「パインJ」。独特だ。
当初はハンバーグだけだったのだが、カレーのメニューも追加された。元々この場所にあったのが人気のカレー屋だったため、間違えて入店してしまった人たちに向け用意したらしい。優しいのだ。かくいう自分もそのカレー屋をめがけてこの店にたどり着いたのがきっかけだった。
おじさんはのんびり屋だった。それも度を越すほどののんびり屋だった。客がいようが彼はいきなり寝てしまう。奥の椅子に腰掛けカクカク眠る。一人で切り盛りしている店なのにだ。お勘定も適当だ。我々が何を食べたかよく覚えていない。レジも苦手らしい。この店で無償でたまに働こうか…そんなことを同行者と話したような気もする。
気まぐれな店主なのでいつやっているかもバラバラだ。友人達を連れてきては閉店日で諦めたのことも一度や二度ではない。気まぐれだから…そんなことを思っていたら次第に開店しているときが日に日に少なくなり、ある日忽然と消えてしまった。とても寂しかった。
いまおじさんはどこで何をしているだろう。あれほど美味しいハンバーグを作れるならどこかでまた店を出していてもおかしくない。
今のご時世インターネットで本気になって調べれば彼がいま何しているかもわかるかもしれない。ただ、あのおじさんにはいつかどこかで偶然、たまたま会いたいなと思う。よくわからないけど、またひょっこり会えそうな気がしているのだ。
なんて食べやすいんだろう、バナナ
今日、”一番好きな果物”の話になり(言葉にすると幼稚園児の会話みたいだ)、パイナップル?意外とさくらんぼ…?などとあぐねたのだけど、”一番食べる果物”という質問ならそれは簡単で、答えはバナナだ。
そもそもおれはバナナを果物扱いしていないというか、カロリーメイトの類というか、要は安くて小腹を満たしてくれる嬉しい存在なのだ。そこに果物特有の高揚感やブルジョワ感はない。しかしバナナは本当に食べ物として優秀だと思う。
何より彼のすごいところは”食べやす過ぎる”という点だ。本当にこれはすごい。まず包丁がいらない。この時点であらゆる果物より優れている。剥くだけでいいのだ。そしてめちゃくちゃ持ちやすい。人間の手で持ってくれと言わんばかりのその収まりの良い優れたフォルム。この差別化で剥いて食べられるみかんなどのライバルを一気に蹴落とす。彼らには持ち手がないのだ。しかもたまに妙に剥きづらい個体もある。バナナはすべて剥きやすい。
一房もぎ取り、手を汚さぬままスマートに皮を剥き、食べ終わったらその皮を捨てればいいだけ。しかも自らの皮の色で”いま食べ頃だぜ”と示してくれる親切機能付き。こんなものが自然界で自生しているなんて奇跡ではないだろうか。未来から来た果物なのではないかとさえ思う。
ぜひ今後バナナを手にした時はその食べやすさに想いを馳せてほしい。いつでも彼らは人間たちに食べられるためスイートスポットを用意して待っているのだ。
おれのドトールのカードがレアカードでした
気づいたきっかけは自分のドトールバリューカード(以下:ドトールカード)のランクを調べた時でした。
ドトールカードは会員登録すると前年の購入金額に応じて下の画像のようにランクアップするんです。で、おれも結構通っているし今のランクはなんだろう、もうゴールドに上がっているのでは…?よもやプラチナ…?と会員ページを調べたのですが、どこにも表記がない。なんだなんだとよくよく見たら「ステータス:ブラック」とある。
はて、ブラックとは…?なんかブラックリストみたいなものだろうか、もしや期間限定の「ミラノサンド鹿児島県産黒豚と夏野菜ソース」を店員と同じ呼び方で「鹿児島サンドください」とか通ぶって常連ヅラしてたから目をつけられたのでは…と恐る恐る検索したらある一文が目に留まりました。
”ブラックカードは常連客だけに配布された激レアのカードです”
常連だけに配布…!?よく読んでみるとドトールカードが開始されたとき、各店舗独自の判断で常連客にのみブラックカードが渡されたとかなんとか。おれは知らない間に独自の判断をされブラック会員になってた。マジなのかよ。
で、このブラックカード、チャージ時に10%ポイントが付きます。めちゃくちゃじゃないですか、2,000円チャージしたら200円分ポイントが付くんです。”年間5万円使う”ことで同じポイント率のプラチナランクになれるのですが、そちらはその年限りなのに対して、ブラックは永久に10%ポイントがつくらしい。
道理でめちゃくちゃポイント溜まると思ったー!なんかおれのカードひとより黒くない…?って思ったー!それもそのはず、おれは独自の判断でブラックカードを渡されていた。
ちなみに見た目はこんなのです。
通常はこう。
「ドトールカードめっちゃ溜まるから買いなよ!」とかみんなに触れまわっていたけどごめんなさい、おれがブラックなだけでした(でもブラックじゃなくてもスタートから5%ポイント付与ってすごいですよね…?)。
それにしても驚いた。普通こう、上からじゃないけど、いつもご利用いただいてるので特別待遇させていただきますね!みたいなアナウンスあるじゃないですか。ない。「あの子のこと好きだけど、あの子、おれのことどう思ってるかな…」とかドキドキしてたらすでに靴箱にあの子からのラブレターが入っていた、みたいなことじゃないですか。
拝啓 グラハム・ベル
先週話したiPhoneの不具合、めっちゃきれいに画面を拭いたら良くなった。アナログな理由だったぽい。
ほんの一時的な携帯電話の不調でも日常生活を確実に鈍らせ、もうこの機械なしでは満足に人間として暮らすことが出来ないなと改めて感じた。調べごとをするにも道を探すにも何かを買うにもこの平べったい四角い機械がついてまわるのだ。
昔から面白いなーと思っていることがあって、電器店の屋号にヨドバシにせよビックにせよ”カメラ”がついている、ということなのだけど、その昔はカメラが商用の機器の中でも花形だったのかなという、そういった跡が垣間見えて好きなのだ。ところがどうだろう、主役を張っていたはずのカメラはもうすっかり携帯電話の一部に組み込まれてしまった。iPhoneの背面から少しはみ出たカメラレンズは彼らのせめてもの抵抗だろう。
しばらくは”電話に何を足すか”が開発者の争点になり、もうあと数十年は電話にとってかわる新しい何かは生まれないと思う。電話が生まれてから140年、遠くの人間の声を聴くこの機械が人々の生活の中心にどっかりと居座ることを誰が想像できたろうか。
2014年末、世界人口は72億人。携帯の契約台数は75億とついに人間より携帯電話の多い世界となった。
iPhone7なんていらないよ
iPhoneの調子が悪い。明確に悪い。
具体的に言うとタップに反応しなくなってきてしまった。昔はあんなに嬉しそうに反応してくれたのに、おれの嫌いなところがあったら治すから言ってほしい。
文字を打とうにも度々シカトされるので文章も億劫になる。先ほどは躍起になって連打したらたまたま顔文字のボタンだけ押せてしまい、渾身の「^_^」が打ち込まれてしまった。「バストイレ別^_^」じゃないんだよ、どういった感情表現なんだ、おれのラッキーフリックを返してくれ。
原因として思い当たる節はひとつあって、最近「iPhone7がほしい」と口走ってしまったのが引き金だったんじゃないかと睨んでいる。こういう、言霊というか、モノの寿命に対して信心めいたものがどうやら自分のなかにあるらしい。
前に軽い気持ちで新しい眼鏡を買ったら、それまで元気にしていた古い眼鏡がその翌日静かに真ん中で二つに割れているのを発見したことがある。真ん中で割れるものなんてパピコしか知らなかった。傷ひとつない新入りを見て、あぁ、これでおれも安心して引退できるな、今度はお前がハナウタの目となるんだよ、と穏やかな笑顔で二つになったんだと思う。いい眼鏡だった。
問題はお手元のiPhone6である。おれはなにも傷ひとつない新入りを手に入れたわけでもなく、ましてや2年契約をあと5ヶ月も残している。もう少し一緒に頑張ろう、防水加工じゃなくていいからさ、そうさ水の中になんて入らなければいい。大丈夫、いいよ、お支払いは現金さ。
おばあちゃんと多分もういない犬
先日、道端で大きなケージを重そうに運ぶおばあちゃんに出会った。
あまりに足取りが不安定だったので思わずよろしければお持ちしましょうか、と声をかけた。「ありがとう、じゃあ大きな通りまでお願いしようかしら」大通りまで出ればタクシーを捕まえるとのこと、確かにこの細い路地ではタクシーは見つかりそうになかった。
ケージの中にいたのは薄い灰色に少し白の混じった小型犬だった。おでかけですか、おばあちゃんに訊くと動物病院に行くのだという。少し間をおいて彼女は話を続けた。不治の病らしい。もう何度も医者に通ったがこれ以上は良くならない、食欲も体力も日に日に衰えていくし…今日動物病院へ行くのは、安楽死をさせるためだそうだ。
ああ、それは…突然の安楽死という響きにうまく言葉が出せなかった。でもおそらく自分が何か気休めのような声をかけるのは違うのではないかと思い、犬とおばあちゃんの目が合うよう、ケージを高い位置で持ち直した。
それから大通りに出るまでおばあちゃんは思い出話を見ず知らずの自分にいろいろ聞かせてくれた。おすわりが得意だったこと。見た目は可愛らしいけどオスだということ。里子を預かったもので、兄弟たちは仙台にいるのだということ。たくさんかわいがってたくさん遊んでたくさん贅沢においしいものをあげたからきっと幸せだったと思うのよ、とおばあちゃんは努めて明るく話していた。
見通しのいい通りまで歩き、おばあちゃんと犬と別れた。もし自分と会わなかったら彼女はどんな思いでケージを持ち運んでいたのだろう。もしかしたら自分なんかが良かれと運んだりせず、彼の重さを実感しながら歩きたかったのではないだろうか。正解があるのかもわからないことをぐるぐると考えた。