元旦に大人5人で家族写真を撮った
ちょっときれいな話っぽくなりそうでずっと書こうか迷っていたのだけど、一人にでも伝わるひとがいればそれでいいなと思ったので、書きます。
元旦に家族写真を撮った。
身内に子どもが生まれたから、とかそういうめでたい話があったわけでもない。きっかけは、勤めている会社から「てめぇら日頃お世話になっている人のためにコレ使え」という用途を限定された軍資金をもらったこと。
他の社員が親戚で旅行に行ったり、外食に行ったりする中でおれは何がいいかなと思案した結果が、”家族写真撮ろ”だったのだ。
家族のLINEグループでその話を持ちかけたところ、「なんでまた」「恥ずかしい」とある程度のブーイングが当然起きた。それでもまぁ同意を得て全員の予定があったのが元日。新年早々朝の10時から写真を撮ることになった。
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撮影は家からほど近い、その昔インターンで働いていた写真スタジオにした。実は新卒から数年間、写真館で働いていたのだ。当時のスタッフが一人だけ残っていて、覚えてくれていたのが嬉しかった。
思い出話はさておき、肝心の撮影はというと我々は予想外の健闘を見せ、お手本みたいな家族写真が撮れた。すごいよく撮れたのだ。両親+我ら3兄弟の家族写真。
「恥ずかしい」だの「元旦はゆっくりお酒飲みたい」だのぶーぶー言っていたクセに、みんな写真を撮られるのが得意だったのだ。もちろんカメラマンの腕が良かったからだろうけど。
なんなら発起人の自分が一番笑顔が下手くそだった。まぁいいんだけど、頑張れよおれ。スーツなどでかしこまらずにみんな私服で撮ったのが良かったと思う。両親をそそのかしたら父母二人だけの写真も撮ることになったのでそれも買った。
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インスタ映えだなんだ、若者は目の前も見ずに写真ばかり撮って、なんて言われたりもするけど、メモリいっぱいになるまで日常を写真や動画に残しておきたいと思う。どれだけ事細かに丁寧に言葉で説明したって足らないことはある。昨日に遡って誰かを、その状況を写真に収めることはできないのだ。
よほど今回の写真が気に入ったのか、両親が「遺影にする」と言っていた。また定期的に撮ればいいじゃんか、遺影更新してくぞ!
ロースケイの新曲『かなり恋っぽい』がかなり恋っぽい
えー、まずはとりあえずこの曲を聴いてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=VfAqhowPrkQ
名曲である。
ロースケイ(@rosskeyy)のことを知らない方も多いと思うが、ここでは割愛する。知らない人のことは顧みず、すでに聴いている方々に向けて思いの丈を勝手に話していこうと思う。
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昨日2月24日にリリースされたロースケイの新曲『かなり恋っぽい』。
YouTubeとsoundcloudで公開されたそれは、1日にしてすでに計6,000回に迫る再生数を叩き出している(もっと伸びていいと思う)。
おれは音楽理論などまったくわからないのでこの曲の良さをうまく伝える自信はないのだけど、「かなり恋っぽいなー!」と思ったので、恋っぽいと思った理由を自分なりに勝手に書き連ねていきます。
1.恋っぽいハラハラする展開
初めてこの曲を聴いた時に感じたのが「すごい展開するなー!」という驚きだ。特筆すべきは2番サビが終わったあと。
多くのポップスでは、Cメロがある場合「2番サビ→間奏→Cメロ→大サビ」と持っていくと思うのだけど、この曲では2番サビのあとに間奏をはさんで「いつだって僕らは 余計なことを堂々巡り」とCメロがはじまり、さらにもう一度間奏をはさんだらDメロの「ああ 今どうしてるの」へ展開。畳み掛けるように転調して最後の大サビに持っていく。
ぎゃー、である。ぎゃー、だ。
勢いのあるCメロを「今すぐ RING THAT PHONE!!!!!」で締め、わーこのままワクワクとラストへ持っていくのか、と思わせておいて、途端に落ち着いた「ああ今どうしてるの」なのだ。ジェットコースターだ。めちゃくちゃ振り回してくる。でも、そうだよね、恋ってそんなだよね、と頷いてしまうのだ。そうそう、それそれ、なのだ。
2.恋っぽい音とツインボーカル
で、それらを組み立てるのが恋っぽい音。もうこれは改めて言うまでもないけど何より男女ボーカルが素敵だ。ロースケイ4曲目となったアベカワ(@avecawasan)は前曲『FRIDAY』とは丸っきり表情を変え、これはもはやアイドルだなーと思わせる存在感。ロースケイと二人して完全にキラッキラしてる。少し恥ずかしがってついオシャレに濁してしまうところをアクセル全開でキラキラさせたのがこの曲の成功した点であり、プロデューサーロースケイのすごいところだ。
一度聴けばつい口ずさんでしまうメロディに、これまでの曲ではあまり多用されなかった煌びやかなストリング、後半になるにつれ遊びの増えていくベースラインなどドキドキさせる音が乗っかって我らがアイドルのツインボーカルである。おわー、相当に恋っぽいぞ。
3.恋っぽい幼さを残した歌詞
そして極め付けが恋っぽい歌詞だ。印象的だったのが主人公の幼さ。
ロースケイの曲といえばここ直近の曲を振り返っても、秘密の恋をゲームとして楽しむ『秘密にしよう』、”アベカワ史上一番エロい”こと『FRIDAY』、物陰に隠れてキスをする『ラブイズサイエンスフィクション』と、どちらかというと”大人の恋愛”をテーマに据えたものが多かった。
それに対して今回の『かなり恋っぽいぞ』である。タイトルイラストに引っ張られているかもしれないけど、登場人物の年齢はグッと下がり、まだ恋愛がはじまるか否かのせめぎあいに焦点を当てたストーリー。かなり、かなり恋っぽいぞ、と言う具合である。そもそも「恋っぽいぞ」なんて言葉思いつかない。ずるいと思う。
大サビの「寝不足の朝日がきついけど」も、多分”つい電話しすぎて朝になっちゃった”的な爽やかなやつだと感じたのだけどどうだろうか。『秘密にしよう』の「朝日の差す目が頷いて」の「朝日」とまったく違う朝日の使い方だと思ったのだけどどうだろうか。えー、どうなのー!ドキドキしてわからんー!えー!!
いったん落ち着こう
落ち着きます。まぁそういったわけで良い曲です。この記事はあくまでおれの主観なので正解でもなんでもない、一個人の解釈である。各自「私はこう思った」「ここが恋っぽいぞ」と感じていただければ良いと思う。というか、この曲についてぜひ誰かとそうやって喧々諤々語りたいのだ。話したいなもっと。
Wi-Fiで息継ぎ
先日仙台に行ったのが携帯を新調した翌日で、なぜかインターネットが繋がらずとにかくWi-Fiスポットを探して見知らぬ土地を歩き回った。
Wi-Fiの繋がる場所を見つけてはインターネットに接続して目的地や情報の見当をつけ、次のWi-Fiの繋がる場所へ向かう。インターネットのできない空間はまるで呼吸のできない水の中のようで、電波を捕らえてようやく息をつくこの所作は息継ぎのようだと思った。
東京に戻ったあと無事スマホはインターネットができるようになったのだけど、格安SIMに切り替えてから今まで意識していなかったWi-Fiスポットが目につくようになった。スマホが息をしたい息をしたいとWi-Fiを求めている、気がする。
もちろんそんな訳はなく自分の意思でWi-Fiスポットに向かうのだけど、すっかり携帯と電波に自分の行動を操縦されているなと思う。
今は上島珈琲にいる、ここは酸素が薄い。
買ってよかったしゃもじ
"立つしゃもじ"って流行ったじゃないですか。今も市場に多く出回ってるんで一定数の需要があるんだと思うのですが、個人的には「あれいるか…?」と懐疑的でした。
何がアレって、立たせるときにどうしても気を使う。わざわざ丁寧にしゃもじ様を立たせている感が強いのだ。
勝手に二足歩行するくらい安定して立つしゃもじならまだしも、彼らには人間でいうところの1歳半くらいの立つ力しかないのである。ハイハイを卒業したばかりのしゃもじなのだ。なんでしゃもじ立たせるのにいちいち親心発揮させなくてはいけないのか。
で、個人的にそのハラハラ感を解決してくれたのがスイングしゃもじです。起き上がりこぼしの要領で倒れない!発明だと思う。
地味な改良と言えば地味な改良なのですが、バッて雑に置いても立ち上がるこのしゃもじ、とにかくかわいいので好きです。
適度な重みがあるのも個人的には好きだ。好きだよスイングしゃもじ。
イラストは本文と全く関係ないバナナざるです。
みんなどうやって文章を書いてますか?〜おれの場合 2018年1月版〜
えー、あけましておめでとうございます。
わはは、前回の投稿から1ヶ月あいてしまった。”年末は総まとめ的な文章を書かねば!”などと変に気構えていたら腰が重くなってしまったのと、あとは単純に年始の記事の準備にわたわたしていました。
あ、これです、良かったら読んでください。
記事の話に乗じて、今日は「文章ってどうやって書いていますか?」の話をしようと思う。
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デイリーポータルZで書かせてもらえるようになってから文字を書く機会が格段に増えた。そうなると自然と気になってくるのが”他の人はどうやって文章書いているんだろう”という疑問。というのもおれはとにかく筆が遅いのだ。スーパースローカメラかと思う。
他人の書き方はきっと興味あるものに違いない、と信じてここでは2018年1月現在の自分の書き方をまとめておきます。
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まずはハード面というか”何で書いているか”という話なのだけど、自分の場合はどうやら「iPhoneで書く」というのが性にあっているようだ。
もちろん当初はパソコンで書いたり音声入力に頼ってみたりしてみたけど、長年Twitterばかりしていたせいか、自分の思考スピードと一番シンクロするのがiPhoneのフリック入力、というように調教されてしまった。きっとこの先どんどん左手の親指の筋肉が発達していくと思う(左手でスマホを操作するので)。あとはたまにBluetoothのキーボードをスマホに接続して書いたりもする。とにかく家で書けない。
で、実際の書き方というか、構成の仕方。これはデイリーポータルに乗せる記事の場合だけど、最初に載せる写真をすべてバーッと選んでしまって、じゃぁこの写真をどの順番で載せたら一番しっくりくるかなーということを考えると自分の場合は書きやすいっぽい。
なので、パソコンで画像編集して、それをGoogleドキュメントに順に並べ、で、外に出てiPhoneでもって画像と画像の隙間を埋めていくように文章を打っていく。という具合。外で書くのは、家の中で文章が打てないという呪いにかけられているからだ。かわいそう。
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家でパソコンですべて書ければそれが効率的なのだろうけど(この文章はそうやって書いているし)ウンウン唸りながら書いていくものについては現状この方法が一番しっくりきている。
もちろん「この方法がおすすめだよ!みんなも真似してみてね!」という話ではないし、おれもあくまで今はこの方法で書いてるよ、という話。また書き慣れてきたら変わるかもなぁということで、備忘録として書き留めておく。
近いうちに”ロボット”はいなくなると思う
Pepparくんをはじめて見たのは確か秋葉原のヨドバシカメラ。携帯の契約待ち時間が90分を超え、全員がピリついた雰囲気の中で「あなたは暇そうですね?」と手当たり次第にケンカをふっかけては無視されていた最新技術搭載のヒューマノイドロボット。あの空間は本当に地獄で、同時に”ロボット技術は過渡期だなー”と強く感じた出来事だった。
あれから3年(意外と3年しか経ってない)。IoTだAIだと叫ばれ、今やビジネス書の就職・転職コーナーには「AIから奪われない仕事」の文字が並ぶ。みんな最新技術から逃れるようにして生きている。
先日の情熱大陸で落合陽一さんが「みんな前提としてロボットが嫌い、日本人はわりと(ロボットが)好きだから大丈夫だと思うけど」といったような旨のことを話していて、その”嫌い”という言葉が印象的だった。そう、人々はロボットーよくわからない最先端の何かーが嫌いで怖いのだ。ケンカふっかけられるし。
とはいえ技術はどんどん進んでいく。よくわからないけど進んでいく。あ、で、タイトルの話。ここまで散々ロボットロボットと書いてきたけど、なんとなく近いうちにおれは”ロボット”がいなくなるのではないかと思っている。それは技術とかではなく言葉の面で。
というのも、そもそも「ロボット」というのが「強制労働」とか「使役されるもの」といった意味のチェコの言葉が語源にあるのだ、多分。そう考えると、果たして現在の彼らはその言葉に沿うように進化を進めているだろうか?
ロボットに人権を!みたいな話じゃなくとも、例えば”携帯”が”スマホ”という言葉にそれとなく移行していくように、ロボットに差し代わるまったく新しい呼称が生まれ、”ロボット”は一世代前の古い技術として死語になっていくのではないだろうか。そしてそこまでもうすぐのところまで来ている、ような気がする。
そのとき君は誰に話しかけているんだろうね、なあPeppar。
東西線と南北線に納得する
先週仕事で仙台へ赴いた。
”仙台はパラレルワールドの東京だ”という上の記事内で縦横に筋交う東西線と南北線について触れたのだけど、そこをもう少し話したかったのでもうひとつ書きます(また最終的に東京の話になるので関東圏以外の方にはつまらない話かもしれない)。
この路線図を見たとき、めちゃくちゃわかりやすくて思わず撮ってしまった。仙台を中心としてそこから東西に延びるのがブルーの東西線。南北に走るのがグリーンの(線名が隠れてしまっているが)南北線。当たり前といえば当たり前だけど、そうだよそうあるべきだよ、と膝を打った。
気になって他も調べたら北海道にも東西線、南北線があるらしい。それがこちら。
同じく、中心地である大通駅から十字に東西線、南北線が延びている。わかりやすい、いいぞいいぞ北の大地。
で、問題が東京メトロだ。それがこちら。
数が多いのは仕方ない、それは別の話だ。問題は中心地。ここまでを鑑みれば東西線と南北線が交わるのは東京駅ないしそれに準ずる場所であるはずである。しかし両者を指でなぞっていくとたどり着くのは…飯田橋駅なのだ。
飯田橋…?
いや、それなりに便利な街であるのは認める。認めるけど、東西と南北の中心が飯田橋となると、関東圏に住んでいる方は首をひねると思う。ラムラも恐縮するだろう。
じゃぁ東京はどこかというと、
ここだ、右下に追いやられている。
そもそも一路線しか通っていないこの疎外感がわかるだろうか。東京駅に何があったのか。ちゃんと調べれば理由があるのだとは思うし、鉄道好きな方には常識なのかもしれない。ただ、今まで東京の地下鉄になんとなく抱いていた違和感はこれだったのか、と仙台でようやく気づいた、という話だ。