おばあちゃんと多分もういない犬

先日、道端で大きなケージを重そうに運ぶおばあちゃんに出会った。

あまりに足取りが不安定だったので思わずよろしければお持ちしましょうか、と声をかけた。「ありがとう、じゃあ大きな通りまでお願いしようかしら」大通りまで出ればタクシーを捕まえるとのこと、確かにこの細い路地ではタクシーは見つかりそうになかった。

ケージの中にいたのは薄い灰色に少し白の混じった小型犬だった。おでかけですか、おばあちゃんに訊くと動物病院に行くのだという。少し間をおいて彼女は話を続けた。不治の病らしい。もう何度も医者に通ったがこれ以上は良くならない、食欲も体力も日に日に衰えていくし…今日動物病院へ行くのは、安楽死をさせるためだそうだ。

ああ、それは…突然の安楽死という響きにうまく言葉が出せなかった。でもおそらく自分が何か気休めのような声をかけるのは違うのではないかと思い、犬とおばあちゃんの目が合うよう、ケージを高い位置で持ち直した。

それから大通りに出るまでおばあちゃんは思い出話を見ず知らずの自分にいろいろ聞かせてくれた。おすわりが得意だったこと。見た目は可愛らしいけどオスだということ。里子を預かったもので、兄弟たちは仙台にいるのだということ。たくさんかわいがってたくさん遊んでたくさん贅沢においしいものをあげたからきっと幸せだったと思うのよ、とおばあちゃんは努めて明るく話していた。

見通しのいい通りまで歩き、おばあちゃんと犬と別れた。もし自分と会わなかったら彼女はどんな思いでケージを持ち運んでいたのだろう。もしかしたら自分なんかが良かれと運んだりせず、彼の重さを実感しながら歩きたかったのではないだろうか。正解があるのかもわからないことをぐるぐると考えた。 

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