過去と未来の距離について

昨日ジュラシックパークが地上波で放映されているのを見かけた。恐竜サウルスで育った人間としては彼らの欲動感溢れる映像だけでも心が踊る。
※恐竜サウルスはかつてディアゴスティーニが発刊していた恐竜をテーマにした週刊誌だ。毎週発光する骨が届き、最終的には光るティラノやトリケラが完成する。なぜ骨を光らせようとしたのかはわからない。

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ところで「ティラノサウルスには羽毛が生えていた」という一時期世間を騒がせた説が「やっぱり生えていなかったのではないか」とまた振り出しに戻りつつあるらしい。「結局よくわからん」というのが最近の見解のようだ。

かと言って前に進んでいないかというとそうではないだろうし、素人にはよくわからないけど、羽毛説が提唱される以前とは次の次元での「よくわからん」なのだろうと思う。
とにかくいろんなことが研究され解明されていく。鎌倉幕府の始まりも現在の教科書では「いい箱(1185)作ろう」とされている。いい国を志したはずの源頼朝は今やいい箱を作る工作おじさんとして紹介されているのだ。
こうやって少しずつ歴史の真実に近づいていく様は見ていて楽しい。未来になればなるほど過去に近づいていくのだ。こうしてどんどん過去と未来との距離がなくなっていき、終いにはふたつの距離がゼロになる。ゼロになった日、それはタイムマシンが完成した日なんじゃないだろうか。