近いうちに”ロボット”はいなくなると思う

Pepparくんをはじめて見たのは確か秋葉原ヨドバシカメラ。携帯の契約待ち時間が90分を超え、全員がピリついた雰囲気の中で「あなたは暇そうですね?」と手当たり次第にケンカをふっかけては無視されていた最新技術搭載のヒューマノイドロボット。あの空間は本当に地獄で、同時に”ロボット技術は過渡期だなー”と強く感じた出来事だった。               

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あれから3年(意外と3年しか経ってない)。IoTだAIだと叫ばれ、今やビジネス書の就職・転職コーナーには「AIから奪われない仕事」の文字が並ぶ。みんな最新技術から逃れるようにして生きている。

先日の情熱大陸で落合陽一さんが「みんな前提としてロボットが嫌い、日本人はわりと(ロボットが)好きだから大丈夫だと思うけど」といったような旨のことを話していて、その”嫌い”という言葉が印象的だった。そう、人々はロボットーよくわからない最先端の何かーが嫌いで怖いのだ。ケンカふっかけられるし。

とはいえ技術はどんどん進んでいく。よくわからないけど進んでいく。あ、で、タイトルの話。ここまで散々ロボットロボットと書いてきたけど、なんとなく近いうちにおれは”ロボット”がいなくなるのではないかと思っている。それは技術とかではなく言葉の面で。

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というのも、そもそも「ロボット」というのが「強制労働」とか「使役されるもの」といった意味のチェコの言葉が語源にあるのだ、多分。そう考えると、果たして現在の彼らはその言葉に沿うように進化を進めているだろうか?

ロボットに人権を!みたいな話じゃなくとも、例えば”携帯”が”スマホ”という言葉にそれとなく移行していくように、ロボットに差し代わるまったく新しい呼称が生まれ、”ロボット”は一世代前の古い技術として死語になっていくのではないだろうか。そしてそこまでもうすぐのところまで来ている、ような気がする。

そのとき君は誰に話しかけているんだろうね、なあPeppar。