友人に会いに島へ行った

こんばんは、北向ハナウタです。

1、2週に1回のペースで書いていたのだけどいきなりひと月近くも間が空いてしまった。いきなり不定期だ。

そのあいだに何をしていたかというと和歌山の島に行ったりしていた。今日は備忘録としてそのことを書こうと思う。だらだら書き連ねるが、半ば友人へ宛てたものなので乱筆を許してほしい。

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その島へは学生時代の友人に会いに行った。友人は繊細なゴリラに似てるのでここでは彼のことをGと呼ぶことにする。高校まで和歌山の島で暮らした彼は進学と同時に上京。同じ音楽サークルに所属したのが縁で、もうひとりの友人(川崎生まれなのでKと呼ぶ)と3人でよくつるんでいた。

彼には人を惹きつける魅力があったが典型的なダメ人間だった。卒業まで5年を費やし、卒業した後もバイトを始めては辞めてを繰り返す。仕送りでパチスロを家に導入する。ようやく続けられるバイトを見つけたのが25の頃。

この先一体どうするのだろうと心配していたら中学時代の彼女と再会し1年付き合ったのちに結婚。そのまま故郷の島に戻り、娘が産まれ、島に家を建て、さらに翌年にはもうひとり娘が生まれ、という具合でおれよりひとつ年下の彼は一足飛びであれよあれよと人生を駆け上っていった。

兼ねてよりKと一度島に行きたいね、という話をしていたが、次女が3ヶ月になり落ち着いたというタイミングで夏休みに入ったので行くことに決めた。

ここからは普通の旅行記だ。

1日目は朝集合し、とにかく今日は名古屋 or 三重を目指し、車で行けるところまで行こうという話をした。何しろおれはペーパードライバーなのでKに全てがかかっている。休憩をとりながらひたすら車を走らせる。延々と続く静岡の中盤あたりで「名古屋に泊まってもしょうがないよな」という真理にたどり着き、伊勢神宮を抱える三重を目指すことにした。

 https://twitter.com/1106joe/status/470439099375943680

伊勢神宮は前からKにおすすめされていたので一度訪れてみたかったのだ。

この日はTwitterが大活躍だった。なかなか当日予約が取れないなか助けを求めたところ、なんと”今日空いている宿”を探してくれ、さらにはおすすめの夕飯までサジェストしてくれた。ぜんぶ従った。

2日目は伊勢神宮鳥羽水族館をめぐり、男二人観光を堪能しながら和歌山へ。本州最南端から少しはみ出た紀伊大島へ辿り着く頃にはすっかり日も暮れていた。

島に着いてからはとくに何をするでもなく過ごした。海に浮かぶ岩を見たり、娘と遊んだり、マグロバーガーを食べたり、3人で歌を作ったりした。

Gは年間で数えるほどしかないという休みを取ってくれた。とにかく彼には休みがない。島に戻った彼は夜があける前から漁をしたり魚の養殖をしたり、というのを毎日繰り返している。肌も日に焼け腕は脚ほどに太くなり、ますますゴリラのようになった。もう繊細なゴリラではない、立派な海ゴリラだ。

すごい逞しかった。あんなに働くのが苦手だったGが家族の大黒柱となって毎日海へ出ている。彼の運転で船に乗せてもらったときはちょっと感慨深かった。波乗りジョニーをみんなで歌った。

4日目、帰りの朝。Kとおれにクーラーボックスが届けられていた。Gの父親がお土産にと用意してくれたらしい。Gの父親は、我々ふたりの間では屈強な大男というイメージが広がっていた。Gから度々仕事の上司である父親からどれだけ毎日怒鳴られているかという話を聞いていたからだ。しかも島の、海の男だ。たぶん、山ひとつくらい背丈がある。

お礼を伝えてから帰ろう、という話になりKと二人で恐る恐る彼らの仕事場へ向かう。運良くGの父親に会えたのでお礼を伝えると、彼は空いてる船を指差した。すでに海へ出ているGに会わせてくれるらしい。

父親の操縦でGの働いてる生簀まで案内してもらい、Gにあいさつを終えたら、その後養殖しているマグロの様子なども巡って見せてくれた。無骨で寡黙で、本当に言葉少なだったけれど、どうやら東京から二日かけてやってきた息子の友人たちを歓迎してくれているようだった。

帰り際、ぽつりと「あそこに空き家がある」とこぼした。一瞬何のことかと思ったがどうやら彼なりのジョークだと気付き、「東京に疲れたら、住みに来ます」と返事をした。おれからは表情が見えなかったけど、Kいわくその返答に少し笑顔を見せたらしいので、たぶんあれで間違ってなかったのだと思う。

その後Kが奮闘し、最南端から12時間かけて東京まで戻る。クーラーボックスを抱え帰宅する頃には日付が変わっていた。

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そんな4日間だった。さすがに体力は底を尽きていたけれど、Kと自分の表情は晴れやかだった。行ってよかった。

Gが信号機もないような島での生活を選び、働く姿を見て、そうか、おれも当たり前のように東京で暮らしているけれど、これはおれが選んだ日常なのだと思った。東京に住み、東京で仕事を選び、東京で暮らしている。全部自分で決めたんだった。

”友人はすぐ会えるほど・すぐ遊べるほどいいものだ”と信じ、友人たちと徒歩圏内で暮らしているけれど、遠くで友人が頑張っているというのも悪くないものだな、と帰りの車中でぼんやり思った。