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おばあちゃんと多分もういない犬

先日、道端で大きなケージを重そうに運ぶおばあちゃんに出会った。

あまりに足取りが不安定だったので思わずよろしければお持ちしましょうか、と声をかけた。「ありがとう、じゃあ大きな通りまでお願いしようかしら」大通りまで出ればタクシーを捕まえるとのこと、確かにこの細い路地ではタクシーは見つかりそうになかった。

ケージの中にいたのは薄い灰色に少し白の混じった小型犬だった。おでかけですか、おばあちゃんに訊くと動物病院に行くのだという。少し間をおいて彼女は話を続けた。不治の病らしい。もう何度も医者に通ったがこれ以上は良くならない、食欲も体力も日に日に衰えていくし…今日動物病院へ行くのは、安楽死をさせるためだそうだ。

ああ、それは…突然の安楽死という響きにうまく言葉が出せなかった。でもおそらく自分が何か気休めのような声をかけるのは違うのではないかと思い、犬とおばあちゃんの目が合うよう、ケージを高い位置で持ち直した。

それから大通りに出るまでおばあちゃんは思い出話を見ず知らずの自分にいろいろ聞かせてくれた。おすわりが得意だったこと。見た目は可愛らしいけどオスだということ。里子を預かったもので、兄弟たちは仙台にいるのだということ。たくさんかわいがってたくさん遊んでたくさん贅沢においしいものをあげたからきっと幸せだったと思うのよ、とおばあちゃんは努めて明るく話していた。

見通しのいい通りまで歩き、おばあちゃんと犬と別れた。もし自分と会わなかったら彼女はどんな思いでケージを持ち運んでいたのだろう。もしかしたら自分なんかが良かれと運んだりせず、彼の重さを実感しながら歩きたかったのではないだろうか。正解があるのかもわからないことをぐるぐると考えた。 

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ゾゾタウンが流行っている理由を考える

ゾゾタウンなんて絶対に使わないぞ。

頑なにそう思っていたのだけどもうこの半年で3、4度利用している。いつのまにかゾゾの町の住人になっていた。住民票を移した方がいいかもしれない。

今まで利用してこなかった理由は明解で、「だって試着しなきゃ買うの怖くない?」だ。おそらくゾゾタウンに住民票を移していない方々はこの思いがあると思う。

ゾゾの町を利用するようになったメリットはいくつかあるが、最たる理由は”買い物は面倒くさい”ということに改めて気づいてしまった点だと思う。街まで出るのが面倒だ、服を探して何店舗も歩き回るのが面倒だ、店員から話しかけられるのも面倒だ。服屋に着ていく服がない、とはよく言ったもので、服がないから服屋に来たわけであり、あまりこちらの全身をしっかりと見ないでほしいのだ。ゾゾ町なら最悪全裸でも服が買える。全裸で待ち、到着した服を着ればいいのだ。

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実際のところはわからないけど、おれの思うゾゾ町の利用層をまとめてみた。”真のオシャレ層”はやっぱりオシャレな店に行くのだと思う。着てみないとシルエットもわからない、手に取らないと素材や色もわからない。そもそも買い物自体が好きなので店に通う。一方で”真のどうでもいい層”がある。着られればいいので適当な店に入り適当に買う(この際「最近はユニクロもオシャレなの出てるよ」などの意見は置いておく)。問題は”ちょっとオシャレしたい層”だったのだ。みんなと服が丸かぶりするのは避けたい。でもちょっと面倒くさい。オシャレ意欲と面倒な気持ちが複雑に入り混じったとき、ひとはある町にたどり着くのだ。

ようこそゾゾタウン。

意外と「このブランドならこのサイズでどうにかなる」を把握しておけば失敗も少ない。そもそも店で買うより安く買えるので失敗のダメージも少ない。少しずつコツをつかみ”ゾゾ筋(ぞぞきん-ゾゾタウンを利用する用の筋肉)”がついていく。そのようにしてひとは住民票を移していくのだと思う。オシャレに少し疲れたあなたも一度利用してみるのも手だと思う。もう一度言おう。

Welcome to ようこそゾゾタウン。

金沢動物園に行こう。

先日上野動物園の記事で賞(※)をいただいたばかりで恐縮ですが、実は他に一番好きな動物園がありまして、今日はその話です。

突然ですが、皆さんは動物園に何を求めますか?珍しい動物がいる、イベントが楽しい、見やすい、コスパがいい、人それぞれかと思います。その中で自分が好きな動物園の条件が”動物も人間も過ごしやすいか”ということです。

えーっと何言ってるかよくわからないと思うのですが、やっぱり観客からすると見やすさ、動物との近さって大事じゃないですか。ただ、単純に動物と人間との距離を近づけようとすると動物の生活エリアが狭くなる。見ていてちょっと息苦しく悲しい気持ちになります。それならばと動物の住処を広くすると今度は動物が遠くに離れてしまい見づらくなる。ジレンマです。

そのあたりの見せ方がいいなーと思うのが、おれの一番好きな動物園、横浜市立金沢動物園

この動物園、”ツノのある動物”に特化しているというコンセプトの時点でかなり面白いのですが、動物の特性を活かした見せ方がされていて、それが好きなんです。

例えばオオツノヒツジとプロングホーンの展示。オオツノヒツジって高所で暮らす動物なので、普通に展示させると観客が高所にいる彼らを見上げる形になるんですが、ここだといきなり目の前にオオツノヒツジがバーンと現れます。いきなりです。

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何故ここにオオツノヒツジ!?となるのですが、冷静に考えるとここにたどり着くまでに少しづつ山を登っていたんですね。f:id:kitamuki:20170502124638j:plain

実際の写真だとこういった具合。この下にはずっと岩山が広がっています。オオツノヒツジの高所へ登る習性を鑑みて、彼らが自然と集まる場所に、人間の動線が来るようにしているんです。この配置設計が素敵。

で、オオツノヒツジ良かったなーと余韻に浸りながら坂を右に曲がりながら下っていくと、いるんですよ、下りたところにプロングホーンが。

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いたー!同じ岩山の下の方に、平地で暮らすプロングホーンがいるわけです。当然山を見上げるとさっき目の前にいたオオツノヒツジが断崖絶壁の上で暮らしている。めちゃくちゃ憎い演出。あとこの動物園はフェンスがほとんど無いのでとても見やすく動物を近くに感じることができます。フェンスの有無、思っている以上に臨場感に差が出ます。

まあここまで偉そうに話してこの間はじめて行ったばかりなのですが、他にもカンガルーのウォークスルー、休憩室で見られるワライカワセミ、儲ける気の更々ない園内での食事や不安になるなかよしトンネル、適度な混み具合(大事)、隣接した公園にある全長100mの滑り台など…。魅力を挙げるとキリがないのですが、とにかく動物の過ごしやすさを第一にした上で観客にも楽しんでもらおうという心遣いが感じられておれはこの動物園がとても好きです。

少し辺鄙なところにありますが、品川から最寄りの金沢文庫駅まで一本ですし(そこからバスに乗るけど)ゴールデンウィーク行くところに迷った際はいかがですか、金沢動物園

 

※追記。

この度、当ブログの「上野動物園を外から覗いた、の話」がデイリーポータルZの新人賞で最優秀賞をいただきました!ずっと憧れていたwebサイトだったので本当に嬉しいです。

portal.nifty.com

kitamuki.hateblo.jp

やー…なんか、ありがとうございます。まだ実感無いですがこれからもよろしくお願いします(ちなみに金沢動物園は外から覗けるタイプの動物園ではないです)。

魔窟についての手記

東と西と南はあるのに北がないものはなーんだ?

こんばんは、そんな訳で今日のテーマは東京のダンジョン、新宿駅です。東京になじみの薄い方には申し訳ないですが、そうと決めたから。

新宿駅で迷子になったことのない方はいないかと思います。とにかく路線が多い、人が多い、出口が多い、どん詰まりが多い、縦に横に入り組んだその構造はまさに現代の魔窟だ。

で、なんでこんなにも迷うのだろうと突き詰めた結論が冒頭の「東と西と南はあるのに北がないものなーんだ?」。そう、この駅には出口がたくさんあるのに北口というものが存在しない。調べられる限りで出口を列挙してみよう。

 

東:JR東口、JR中央東口

西:JR西口、JR中央西口、小田急地下西口、小田急地上西口、京王西口、

南:JR南口、JR東南口、JR新南改札(旧・新南口)、小田急南口

他:ミライナタワー改札、甲州街道改札(旧・サザンテラス口)、ルミネ口、新都心口、京王新線口、京王百貨店口、広場口、臨時口、大江戸線の出口が3つくらい

 

こんなにたくさん口があるもの他にないでしょう。調べきれていないだけで多分もっと口はある、我々がまばたきをしている間にもどこかで人が生まれ、人が死に、新宿駅には口が増えている。

改めて並べても不自然なまでに北口が見当たらない。それは迷う訳だ、ぼくらは新宿駅を歩くとき南と東と西しか無いコンパスを渡されているようなものなのだ。

なぜここまで北口を排除する…不自然なまでに…?おれはハッとする。もしかして元々は存在していた北口が、なんらかの理由で消されたとしたら…?息を飲む、南口コンコースを駆け、通勤ラッシュの人並みをかいくぐり、アルプス広場を通り過ぎて、そして辿りつく。この色あせて埃をかぶった無人の改札は…?おれの身体は己の胸の高鳴る音で充満し、背後の不穏な足音に気付かないでいた。鈍痛。薄れゆく記憶の中で濡羽色の外套に身を包んだ男二人の薄い笑顔を見た、北口、キミは…

アルファベットをもう1文字増やすなら。

アルファベットは26文字ある。

…数が中途半端だと思いませんか。個人的には前後の25や27の方がまだ収まりがいい気がする。とは言え「一番いらない文字を選んで25個にしよう」というのもアルファベット界(アルファベット界?)に波風が立ちそうなので、もうひとつ足して27個するのが正しい大人の対応だ。

 

そういったわけで今回は友人二人を集め、それぞれの思う「27文字目のアルファベット」を考えました。なお、大文字と合わせて小文字も考えることとする。

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各々のアプローチで探っていく。自分は既存のアルファベットをすべて書き出すところから始めたのだけど、彼女はまず漢字をレタリングしていた。大丈夫か、大丈夫なのか。

 

これ、とても楽しいのだけれど自分の想像以上に難しい。既存の文字の劣化版ばかり生まれる、これはどうかと捻るとギリシャ文字キリル文字にすでに似たようなものがあったりする。アルファベット、先人の知恵だなー。なお、見ての通りすでに結構お酒が入っている。 

 

唸ること10分、三者三様の新アルファベットが完成したため発表会が行われた。一人目は友人S。彼女は書道の段を持つ。文字に対する素養はこの中で一番高いはずだ。

 

私のアルファベットはこれです

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すごい、スタートから独創的なのが来た。

まず、アルファベットに四角いものがなかったので、四角をベースに考えました。そして”R”のように足があるものが良かったので、足をつけました。

確かに足があると安定感がある。

あと、数字の”四”を参考にしました

なんで漢字を参考にするんだ。

 

そして小文字は丸いイメージがあるので…

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これです。

引き続き独創体勢に入ってるなー。

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追加イメージを作ったら思ったより馴染みました。この調子で進めます。

 

続いてハナウタ案。英語は全くできない。

おれも同じく直線で組まれた文字。KとLの間にもう一文字欲しいと思って…

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こうです。矢印みたいでかわいい

たぶんもうすでに酔ってる。矢印みたいでかわいいってなんだ。

小文字は、おれも丸みをもたせて、あと”y”とか”j”とか下にはみ出るイメージがあったのでそれに倣いました

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あ、悪くないと思っていた小文字、こうして並べてみるとxやyと混同しそう。雑に書いても他の文字と明確に差別化できる、という点は重要かもしれない。

 

最後は英語やフランス語まで操る友人U。文字は汚いが言語能力に優れており期待は高まる。

おれの場合は機能から考えました。もう一文字追加するのであれば、他に付随して初めて意味を持ち、かつ意味を変革させる文字がいい

なるほど、確かにすでに26文字で機能している文字群なのだから、そこに追加するのであれば言語表現がより豊かになる機能を持たせるのは理にかなっている。

候補は二つで日本語で言う”ん”と”長音”。今回は長音を選びました。形はこれ

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そして小文字

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もっと紙の真ん中に書いてほしかったな。形自体は直線で構成され三者とも近い要素がある。なおもペンを走らせる友人。

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グワーーー。

基本的には筆記体で考えた(写真右端)。さらっと書けるように小文字を考えていったらこういう形に

あ、おもしろい!筆記体で考えるなんて思いもよらなかったな、限りなく実用的な気がする。並べてみるとこんな感じ。

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悪くない気がする。採用して欲しい。

 

今回は酒の席で上でごく短い時間で考えたけれど、じっくり腰を据えて遊ぶのも楽しいかもしれない。職業や環境によってアプローチも変わっていきそうで、わりと奥の深い遊びになるかも、という可能性を感じた。

 

次回は新しい数字でも考えようか。 

森山次第

夏派?冬派?といういつの世でも繰り広げられる議題がある。

おれは「夏は、服を脱いでも限界があり、対応のしようがない。だるい」の一本槍でこれまで「冬派」を貫いてきたのだけど、最近は冬も辛くなってきた。なにせ長い。体感として1年の半年は冬だ。春夏夏冬冬冬だ。秋はない。

おそらく一人暮らしをはじめた頃から冬がダメになってきている気がする。たとえ部屋を暖かくしたとて冷たい廊下、凍える着替え、上がり続ける電気代。自分の温もりだけで生きていくには限界がある。もういい、もういいだろう冬。思えば楽しい思い出はいつも夏のような気がする。花火大会、水遊び、例えそんな夏らしいイベントがなくても夏の夜の気候は一番ワクワクするものだ。

このような具合で近年は「夏の方がまだマシ」と冬にぼやき「冬が恋しい」と夏に嘆いている。これはもう夏派とか冬派とかそういう話ではない、気づいたろう、おれはただのわがままだ。

桜の花も散り、いよいよ季節が春めいてきた。ようやくこの死の季節も終わりを告げ、街中には周りを伺いながら春の歌が流れるだろう。直太朗が「さくらさくら」と歌えば春がはじまり、直太朗が「夏の終わり」と歌えば秋が来る。そう、そうやって地球は今日も回っているのだ。

書を捨てよ、町へ出よう、とんがりコーンを買いに行こう

嘘か誠かは知らないけれど、「ビタミンDを生成するためには日光浴が必要」という話が好きだ。

世の母親の「家でファミコンばっかやってないので外で遊びなさい!」という口上に強力なバックアップ態勢が整えられるデータだ。食事で与えられるだけの栄養は私が用意した、あとはてめえらで足りない分を生成してこい、というわけだ。学術的根拠に基づいた母親の示唆とあっては子どもたちは従うほかない。

スーパーフードだマクロビだなんだと頭でっかちになっている現代人にも警鐘を鳴らそう。バランスのとれた食生活やサプリメントをどれだけ机上で計算しつくしても、なぜかどうしてもビタミンDが足りない。骨の健康が保たれない。星新一ショートショートにでもなりそうな話だ。シェルターの中で完璧なデータを基にして暮らす未来人がやがて絶滅してしまう話。

そういえば先日外で食べたとんがりコーンが異様に美味しかったのもきっとそういうことなのだと思う。とんがりコーンを食べながらビタミンDを摂るには外で食べるしかない。書を捨てよ、町へ出よう、とんがりコーンを食べよう、ということだ。なんとなく名言めいたものを引用すれば話がまとまると思ったがまとまりそうもない。とりあえずここまで書いてとんがりコーンを食べたくなってきたので買いに出かけようと思う、学術的根拠なので従うしかない。