国旗の話をしよう こぼれ話 Vol.1 〜フランスとスペインとアンドラ〜
先日デイリーポータルZで『国旗が好きだ。国旗の話をしよう』という記事を寄稿させていただいた。
https://dailyportalz.jp/kiji/lets_talk_about_flags
これこれ。
記事の最後にも書いたけれど、だいぶ文字数が多くなったのでカットした部分がある。せっかくなので少しずつ記事に入らなかった部分を書いてみようかな、というのがこの記事の主旨である。
次回があるかはわからないけれど、第1回はアンドラの国旗について。
あまり馴染みのない国かもしれないけれど、フランスとスペインに挟まれた小さな国である。話したいのは、この国旗の成り立ちについて。
記事中でも触れたが、様々な成り立ちのある国旗のなかには外を意識して作られたものもある。
ホンジュラスの5つの星なんかは、中央アメリカ連邦から5つの国(ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラ、コスタリカ)に分かれた際に「この5つの国は今後も仲良くやっていきますよ」というメッセージが込められていたりする。
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で、アンドラなのだけど、先に述べたようにこの国はスペインとフランスという大国に挟まれた国民8万人ほどのミニ国家。国のトップがフランス大統領とスペインのウルヘル司教(ざっくりいうとこの地域の宗教上のえらいひと)というほどこの2国に体を預けている国なのだ。
その姿勢が国旗にも現れており…
実に、フランスの青を、スペインの黄を、両国共通の赤を受け継いだ合作の国旗だったりする(中心部は国章)。さすが国防までフランス、スペインの両国に委ねる国である。
200近い国旗があるけれど、たぶん合作の国旗はこのアンドラだけ、のはず(他にあったらご教示ください)。そういった意味でもとても興味深い国旗であり魅力的だ。
ある日突然お腹が空いた
お腹の空かない子だった。
というか、お腹が空いたことがなかった。1食や2食くらい抜いてもなんら問題がない。飲食費が支給された日などはご飯を食べないことでそのまま懐に入れるなどしていたと思う。何せ食べても食べなくても変わらないのだ。
転機は確か中3のころ、ある日突然お腹が空いた。
びっくりした。いきなりお腹をぎゅっと掴まれるような未知の違和感を覚えその場にうずくまる。盲腸だろうか、胃潰瘍だろうか、不安に苛まれお腹を押さえながら考える。頭の中では救急車のサイレンがリフレインしていた。なんのことはない、その日の昼飯を抜いていただけだった。これが空腹なのか、と思った。
それ以来、空腹とはとても嫌なモノなのだと考えを改め、とにかくお腹を空かせないようになった。今でもかならず1日3食以上食べるし、社内の誰よりも早く昼に入る(弊社は休み時間が決まっていない)。
今でもお腹が空くと、お腹が空くことのなかった人生の前半を思い出す。あれはなんだったのだろう。雷に打たれたような転機って誰しもあると思う。おれは突然お腹が空いたことがそれのような気がしている。
無印良品のイヤーマフが地味に、でも確実に進化している
今日は東京にも雪が降った。
といっても本当にぱらつく程度で積もることもなかったけれど、まぁでも寒かったのだ。つい数日前は「オッ、春か!?」という暖かさだったというのに、人々を油断させておいてしっかりと本気を見せてくる、冬の常套手段である。
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まわりにずっと薦めている防寒具がある。それが無印良品のイヤーマフである。いわゆる耳当てだ。
無印以外のものでもいいのだけれど、こいつはいわゆるカチューシャのように上からかぶるのではなく、後ろーー後頭部から持ってきて耳に当てる。
ヘアセットなどしていても髪型がつぶれることなくつけることができるので、男性でもつけやすいのだ。
耳当てもせず寒がっているひとは一度だまされたと思ってつけてみてほしい。冬を生きやすくする手段は耳を塞ぐことだったのか、と気づかされると思う。
耳をイヤーマフ、鼻はマスクで覆い、首をマフラーで塞いだらモッコモコのダウンを着る。そこにおしゃれはない。ただ、暖かさがある。いいのだ、おれは寒いのは嫌なのだ。
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で、ここからが本題なのだけど、そのイヤーマフが知らぬ間に進化していた。気づいたきっかけは毎年使っていたイヤーマフの紛失である。耳がちぎれそうになりながら無印へ駆け込み、新しいそれを買うとあることに気づいたのだ。
「あれ、イヤホンがしやすくなってる」
そうなのだ。イヤホンがしやすくなっていたのである。というのも、今までは耳当て部分がみっちり中が詰まっていたので、イヤホンの上からそれをつけると、どうしても耳が圧迫されて痛かったのだ。もう、それはそういうものなのだと思っていた。
しかし新しいイヤーマフはというと、耳当ての中が空洞になっており、それを覆う形で布が張られる、という工夫がされていたのだ。ボンゴとかの太鼓をイメージしてもらえればわかるだろうか。
リニューアルした理由は定かではないが、おそらくイヤホンのしづらさを解消させるためだったのではないかと思う。気づいたときには「もう!」と思った。もう!無印ったら本当に静かに改良を重ねるんだから!である。
無印はいつだってそうなのだ、コロコロクリーナーのテープがいつの間にかちぎりやすくなっていたりなんだり、すーぐお客様の声を反映して改良してしまうのである。
「身のまわりのものを無印で揃えたくねぇー」という反骨心もありながらどうしてもわくわくと足を運んでしまうのは、この開発のスピード感にあると思う。
無印の商品を紛失した時、それはピンチではない。「もう!無印ったら!」に触れる絶好のチャンスなのだ。
2018年書いた記事をざーっと振りかえる
2018年も最終日、ひとは今日を大晦日と呼ぶ。月末を「晦日(みそか・三十日)」と呼び、その年最後の晦日を大晦日と呼ぶのだそうだ。
まぁそんなことはさておき、2018年はけっこう頑張って記事を書いたので、ちょっと自己満足のためにまとめさせてください。帰省したりなんだりでやることなくて暇だったらよかったら読んでね。
1月
デイリーポータルZ(以下DPZ)で記事が2週に1回となったのがこの1月(今までは月1だった)。2記事ともわりと評判がよくその月のMVPをもらった今年のハイライトだ。1年のピークが早かった。
眼鏡の反射のやつは半年後くらいに他の方がLEDつきの眼鏡を作って大バズりしたらしい。制作者もこの記事も読んでいたらしいので多少恩恵が欲しいと思いました。そういうことがよくある。
2月
掲載の日付の関係上この月は1本だけ、しかも地味な企画であった。読み返すともう少し広げてやってもよかったよなと思う。掲載ペースに慣れないなかの試行錯誤が見えるなー。
3月
あーそうそうプロフィール帳たのしかった!架空駅弁については企画が通ったあと、そういえば自分には料理の素養もなければ鉄道も地理も詳しくない、と気づいてひいひいと書いた記憶があります。でも鴨肉はすごいおいしくできた。
4月
脅迫状の遊びも楽しかった。このあと井上マサキさんはクイズ99人の壁で100万円を獲得します。部屋を警告色にしたのも結構思い出深い。本当に長時間部屋にいると動悸がするのだ。
5月
ネット広告の記事も作っていて楽しかった。撮影協力いただいたトルーさん江ノ島さんに「この撮影の正解がわからない」と手応えのなさをふんだんに与えた記事。このおふたりには下半期も大変お世話になりました。
6月
ありがたいことにアイスムでの連載が始まる。漫画+エッセイという、また全く異なる挑戦でした。iPadとApple pencil買ったり、この漫画用の絵柄を作ったり「そこから!?」というスタート。今見るとがんばってるけど下手だ。
・おいしくて探しづらいミニストップの“手づくりおにぎり”を推したい
・月刊住むひと vol.01 小田急小田原線 経堂駅 徒歩14分 賃料7.0万円
7月
たぶん今年1ネットで評価されてたのが7月のキラカードの記事。わりとパッパッと書けたやつだったので反響に驚く。労力と比例するものでもないんだなーと知見を得つつ、とくにその知見が今後に生かされたわけでもない。
・月刊住むひと vol.02 西武新宿線 下井草駅 徒歩11分 賃料7.4万円 ペット可
あとなぜかアイスムの連載2回目で絵が上手くなる。
8月
食べ物のかわいさに気づいた8月。ちょうどこの頃からDPZで「ライター反省会」という、ライターの暴走ぶりを笑って振り返るコンテンツが始まり「はっ、もっとパッションをぶちまけてもいいのか!」という衝動にかられ、最終的にはシュウマイランプを抱えてひとりで横浜へ繰り出します。
・月刊住むひと vol.03 JR京浜東北線 西川口駅 徒歩12分 賃料5.5万円 ロフト付き
シュウマイランプ、バズりとは無縁でしたが根強いファンがいる好きな記事。
9月
あれよあれよと参加者が7人まで増えてしまい大わらわになった主人公になる記事。今振り返るとばかばかしくて楽しかったけど、撮影は夜じゃない方がよかったんだろうな。カメラマンの安藤さんに「この撮影の正解がわからない」と手応えのなさをふんだんに与えた記事。
・月刊住むひと vol.04 東京メトロ千代田線 町屋駅 徒歩9分 賃料6.4万円 一口コンロ
10月
鹿児島シリーズ。「ただの会社員が記事書くために鹿児島に行かせてもらえるなんてなぁ」と感慨深かった、これも今年のハイライトだ。盛大に電車を間違えて青ざめた顔で1時間くらいタクシーに乗った思い出。忘れたい。
・月刊住むひと vol.05 東急池上線 蒲田駅 徒歩4分 賃料7.8万円
アイスム蒲田編も、変なマンション名をテーマにした最高傑作。この月はDPZ16周年の生放送も2本参加したしめちゃくちゃがんばった。
11月
たかをくくっていたら思ったより製作時間が膨大になってしまい平日土日と泣いた11月。こういう時間の見立ては一刻も早く身につけた方がいい。こういう作業自体がきらいじゃないのがいけない。
・月刊住むひと vol.06 JR南武線 分倍河原駅 徒歩10分 賃料6.9万円 半地下
12月
カメラマンの米田さんに「この撮影の正解がわからない」と手応えのなさをふんだんに与えたキリンケンタウロスの記事が今年の締め。知り合いまわりで話題沸騰しました、悔いなし。マサイキリンの取材対応してくれた平川動物公園の職員の方々もこんな形でキリン愛を昇華されるとは思ってなかったと思う。
・月刊住むひと vol.07 東急田園都市線 三軒茶屋駅 徒歩10分 賃料7.2万円 〜スマートスピーカーと風邪〜
あまり読まれてなかったけど、月刊住むひとも良い回です。
そんな2018年でした
という具合でした。お会いした方々が「読んでます」「あの記事が好きです」と言ってくださるのが本当に励みになりました。まじで嬉しいんです、あれ。あと、意外とひとによって好きな記事が違うのも嬉しかったな。いろんな記事書こう〜と思いました(この記事のコメントで好きだった記事のこと書いていただいてもいいのでね)。
2019年はもう少し記事の執筆ペースを落とすことになろうかと思います。とはいえ引き続きがんばりますので応援よろしくお願いします。
おしゅまいです。
「おてぴ」と打てば「お手数ですが添付pdfをご確認ください。」と出てくるという、だらけた仕事術
手抜き仕事術
先日のデイリーポータルZ 16周年イベントに出演したとき会社員枠として「仕事術をなんか出して」と言われ、出したのが「鬼のように単語登録をしている」という話。
これがなんだか思っていた以上に”ええやんけ”という評価をいただいたので、せっかくだから自分が登録している単語の一部を紹介しようかなと思います。
そのときに話したのが、上の画像の通り「おてぴ」と打てば「お手数ですが添付pdfをご確認ください。」と出てくるものなのだけど、こういった具合でよく使う言葉を3文字程度で登録しています。
ポイントはこの”3文字程度”という点で、2文字だと予期しないところで勝手に変換されてしまったりするので、3文字かつ普段使わないような文字列で登録することをおすすめします。
例えばこんな。
■あいさつ・お礼
「いつで」→「いつもお世話になっています。○○の北向です。」
「ありが」→「ありがとうございます。」
「ありた」→「ありがとうございました。」
「いじょよ」→「以上、よろしくお願いします。」
■指示系
「みもお」→「見積もりお願いします。」
「いだう」→「以下URLよりダウンロードください。」
「ごかよ」→「ご確認のほどよろしくお願いします。」
■文章補足
「ひょだ」→「表題の件、」
「けめ」→「件名の通りです、よろしくお願いします。北向」
「いたさい」→「いただけますと幸いです。」
「げつ」→「(月)」…ほかすべての曜日
■スミカッコ
「じょき」→「【情報共有】」
「でんれ」→「【電話連絡】」
「みもい」→「【見積依頼】」
そのほか、だいたいの協力先の会社名+担当者名や専門用語。
できるだけ楽して働きたい
「あ、この言葉よく使うなー」と思ったらその都度いろいろ増やしてカスタマイズしている具合です。10数文字打ったら簡単なメールは完成するので便利〜。予測変換も、予測で出るか確実じゃない状況で地味に探すラグなどもあるので、一思いに登録した方が早いと思います。
「いまだに文章でやりとりなんてしてるの?」なんて声もあるかもしれないですけど、まあ職種や業種によってはけっこうメールを打つ時間とかってバカにならないじゃないですか。こうやってすこーしずつ省エネしていって、みんなで仕事を楽にしていけるといいなと思います。
こんな単語登録してる!とかお得な情報あればぜひ教えてください!ね!
鹿児島県民は信号を守る
9月の末、はじめて鹿児島へ行った。
2泊3日、取材も込みなのでほぼ自由時間はなくすべてにおいて駆け足になってしまったのだけれど、それでも「鹿児島いいとこだなー」と思ったことがあって。
それが”みんな、めちゃくちゃ信号を守る”ということ。や、これたまたまかもしれないし、筆者の過ごした鹿児島中央〜天文館エリアのみかもしれないのだけど、これが一番驚いたことだった。
大きな繁華街・夜中・短い横断歩道、なんて条件が重なったら都内だったらササッと渡るひとが結構いると思う。ただ鹿児島のひとたちは本当に全員がしっかり信号を守って渡っていて、「すげー!」と思った。頭の悪い感想で申し訳ないんだけど、すげー!と思ったのだ。気持ちがよかった。
他にも電車に乗ればしっかり詰めて席に座るし、桜島で紛失したキーケースをわざわざ届けてくれるし(これは本当に死ぬところだった)、ここに来るまでは全然知らなかった鹿児島の人たちに触れ、いたく感銘を受けたのだった。
美味しいものもあるだろう、温泉や歴史ある建物もあるだろう、そんなことより鹿児島のひとたちに会いにここへ行って欲しい。そんなことを思った。
写真は偶然街路樹が重なってカーニバルっぽくなった大久保利通
20年前のハロウィンのこと
オチも何もない話だけれども。
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はじめてハロウィンをしたのは20年以上前の小学生の頃。当時住んでいたマンションというのが、どの家庭にも子どもがいて、しかも子どもはみんな小学生以下、というわりと特殊な環境だった(いま考えるとかなり恵まれた環境だ)。で、ある年からそのマンション全体でハロウィンパーティーが開かれるようになったのだ。
当時はハロウィンの認知度なんて本当に低いもので、知識としては持っていたとしても、それこそ「スペインではトマト祭りというものが8月に行われるらしい」と同等の遠い国のイベントだったと思う。
そんななかでなぜハロウィンが開かれたかというとそのマンションにアメリカ帰りの家族がいたからで、彼らの提案でこの催しが見よう見まねで立ち上がったのだった。「トリックオアトリートというらしい」「各家庭でお菓子を用意しよう、仮装もするんだそうだ」よくわからないなりに各家庭が準備を進める。ハロウィン文化の普及前、仮装グッズなどあまり出回っているものではなかったので、各自工作をする形で10月31日を迎えた(おれは黒いゴミ袋でゴジラに扮した記憶がある。なぜ)。
当日は大いに盛り上がった。何せどの家のチャイムを鳴らしてもお菓子がもらえるのだ。「103号室でチョコもらえるぜ!」「207号室のお菓子の量すげぇ!!」妖精、なんらかのヒーロー、ゴジラ。つたない、思い思いの仮装をした子どもたちが情報交換をしながら次々と家を回る。意味もわからないまま異国の呪文を叫び、ウハウハとお菓子をカバンに詰めていく。
そうだ、あれは確かにハロウィンだったよな、と昨日今日のハロウィンのニュースを見ながら久々に思い出した。とても楽しいイベントだった。