透明なミルクティーの技術を盗めと上縁メガネの課長はぼくに言う

「透明な…ミルクティーだと!?」

サントリーからの公式ニュースリリースに、商品開発部のデスクはさながら往年の刑事ドラマのような空気だ。

ついこの間透明なレモンティーを出したばかりじゃないか。そんな簡単に応用が利くものなのか?飲料を無色にする技術に関して完全に後発となった企画部門は焦っていた。そもそもそんな技術に需要があるなんて思ってもみなかった。紅茶を透明にしたからなんだというのだ、というバカバカしい気持ちもある。だが事実として”透明なレモンティー”は売り上げを伸ばしているのだ。弊社の純然たるレモンティーの売り上げは押し出される形で見事な下降線を辿っていた。

「ちょっと、結城」上縁メガネの課長から呼び出された。嫌な予感がする。「工場の地図、これね」やっぱり。諜報部のぼくの出番のようだ。

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と、まぁそんなわけで道中のぼくの頑張りは長くなるから省くけれど、 工場に潜伏するまではクリアしたところだ。これが本職なわけで、当然といえば当然なのだけれど。とはいえ気が抜けないのはここが天下のサントリー様であること。とにかくこの企業は用心深くて嫌いだ。他の飲料メーカーと比べても抜群にセキュリティが固いのだ。無数に仕掛けられたレーダーを掻い潜りながら進む。

それにしてもいつにも増して厳重じゃないか?ようやく一番奥までたどり着いて静かに汗を拭う。この角の先がお目当ての透明なミルクティーのラインか…こめかみの小型カメラがしっかり起動していることを確認する。よおく収めてくれよ。

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角を折れて製造工程にかち合ったぼくは目を疑った。ラインの途中までは完全に普通のミルクティーなのだ。褐色と言うのだろうか、とにかく変哲もないミルクティー。それが工程の最後、容器に[TR-091]と記された液体がひとしずく落ちた瞬間そのミルクティーは透明になりかわった。化学実験というか、魔法のようだった。多分ぼくはそのとき驚きで声が出てしまったのだと思う。

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しまった。事もあろうにぼくの声はレーダーに捕らえられ、あっという間に屈強な男達に身体を取り押さえられてしまった。ああ、どう抜け出そうか。「ちょうどいい、これを使おう」ひとりだけひょろ長い背格好をした男が[TR-091]と書かれた液体を取り出した。「その液体は」男は満面の笑みを浮かべる。「さっき見ただろう。これは触れた物質を透過させる性質を持つんだ。弊社の研究成果の結晶さ」なんでも?「なんでも。どうやらキミはかくれんぼが好きみたいだから気にいると思うよ。特別に身体へ注入してあげよう」液体が注射器を通してぼくの腕から注入されていく。少しずつ、注入された部分から透明になっていく。うそだろ。

「じきに全身に回るだろう、素敵だね、透明人間の完成だ。これでキミはかくれんぼし放題さ。もっとも網膜も透明になる以上、視力は失うことになるだろうが…」

友人に会いに島へ行った

こんばんは、北向ハナウタです。

1、2週に1回のペースで書いていたのだけどいきなりひと月近くも間が空いてしまった。いきなり不定期だ。

そのあいだに何をしていたかというと和歌山の島に行ったりしていた。今日は備忘録としてそのことを書こうと思う。だらだら書き連ねるが、半ば友人へ宛てたものなので乱筆を許してほしい。

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その島へは学生時代の友人に会いに行った。友人は繊細なゴリラに似てるのでここでは彼のことをGと呼ぶことにする。高校まで和歌山の島で暮らした彼は進学と同時に上京。同じ音楽サークルに所属したのが縁で、もうひとりの友人(川崎生まれなのでKと呼ぶ)と3人でよくつるんでいた。

彼には人を惹きつける魅力があったが典型的なダメ人間だった。卒業まで5年を費やし、卒業した後もバイトを始めては辞めてを繰り返す。仕送りでパチスロを家に導入する。ようやく続けられるバイトを見つけたのが25の頃。

この先一体どうするのだろうと心配していたら中学時代の彼女と再会し1年付き合ったのちに結婚。そのまま故郷の島に戻り、娘が産まれ、島に家を建て、さらに翌年にはもうひとり娘が生まれ、という具合でおれよりひとつ年下の彼は一足飛びであれよあれよと人生を駆け上っていった。

兼ねてよりKと一度島に行きたいね、という話をしていたが、次女が3ヶ月になり落ち着いたというタイミングで夏休みに入ったので行くことに決めた。

ここからは普通の旅行記だ。

1日目は朝集合し、とにかく今日は名古屋 or 三重を目指し、車で行けるところまで行こうという話をした。何しろおれはペーパードライバーなのでKに全てがかかっている。休憩をとりながらひたすら車を走らせる。延々と続く静岡の中盤あたりで「名古屋に泊まってもしょうがないよな」という真理にたどり着き、伊勢神宮を抱える三重を目指すことにした。

 https://twitter.com/1106joe/status/470439099375943680

伊勢神宮は前からKにおすすめされていたので一度訪れてみたかったのだ。

この日はTwitterが大活躍だった。なかなか当日予約が取れないなか助けを求めたところ、なんと”今日空いている宿”を探してくれ、さらにはおすすめの夕飯までサジェストしてくれた。ぜんぶ従った。

2日目は伊勢神宮鳥羽水族館をめぐり、男二人観光を堪能しながら和歌山へ。本州最南端から少しはみ出た紀伊大島へ辿り着く頃にはすっかり日も暮れていた。

島に着いてからはとくに何をするでもなく過ごした。海に浮かぶ岩を見たり、娘と遊んだり、マグロバーガーを食べたり、3人で歌を作ったりした。

Gは年間で数えるほどしかないという休みを取ってくれた。とにかく彼には休みがない。島に戻った彼は夜があける前から漁をしたり魚の養殖をしたり、というのを毎日繰り返している。肌も日に焼け腕は脚ほどに太くなり、ますますゴリラのようになった。もう繊細なゴリラではない、立派な海ゴリラだ。

すごい逞しかった。あんなに働くのが苦手だったGが家族の大黒柱となって毎日海へ出ている。彼の運転で船に乗せてもらったときはちょっと感慨深かった。波乗りジョニーをみんなで歌った。

4日目、帰りの朝。Kとおれにクーラーボックスが届けられていた。Gの父親がお土産にと用意してくれたらしい。Gの父親は、我々ふたりの間では屈強な大男というイメージが広がっていた。Gから度々仕事の上司である父親からどれだけ毎日怒鳴られているかという話を聞いていたからだ。しかも島の、海の男だ。たぶん、山ひとつくらい背丈がある。

お礼を伝えてから帰ろう、という話になりKと二人で恐る恐る彼らの仕事場へ向かう。運良くGの父親に会えたのでお礼を伝えると、彼は空いてる船を指差した。すでに海へ出ているGに会わせてくれるらしい。

父親の操縦でGの働いてる生簀まで案内してもらい、Gにあいさつを終えたら、その後養殖しているマグロの様子なども巡って見せてくれた。無骨で寡黙で、本当に言葉少なだったけれど、どうやら東京から二日かけてやってきた息子の友人たちを歓迎してくれているようだった。

帰り際、ぽつりと「あそこに空き家がある」とこぼした。一瞬何のことかと思ったがどうやら彼なりのジョークだと気付き、「東京に疲れたら、住みに来ます」と返事をした。おれからは表情が見えなかったけど、Kいわくその返答に少し笑顔を見せたらしいので、たぶんあれで間違ってなかったのだと思う。

その後Kが奮闘し、最南端から12時間かけて東京まで戻る。クーラーボックスを抱え帰宅する頃には日付が変わっていた。

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そんな4日間だった。さすがに体力は底を尽きていたけれど、Kと自分の表情は晴れやかだった。行ってよかった。

Gが信号機もないような島での生活を選び、働く姿を見て、そうか、おれも当たり前のように東京で暮らしているけれど、これはおれが選んだ日常なのだと思った。東京に住み、東京で仕事を選び、東京で暮らしている。全部自分で決めたんだった。

”友人はすぐ会えるほど・すぐ遊べるほどいいものだ”と信じ、友人たちと徒歩圏内で暮らしているけれど、遠くで友人が頑張っているというのも悪くないものだな、と帰りの車中でぼんやり思った。

アプローチが独特なスポーツ少年だった思い出

 ふいにスポーツ少年だった記憶が蘇った。アプローチの仕方が多少独特だったこともセットで思い出した。

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 父親モータースポーツから球技に渡るまでわりと幅広くスポーツ観戦をする人間だったので、その隣でスポーツをわりかし観て育った。

 中でも一番好きだったのは相撲だ。当時は曙や小錦貴乃花若乃花といった華のある力士も多く、将来の夢に「お相撲さん」とまで書くほどだった。

そんな幼いころの自分がハマったのが”折り紙で作るトントン相撲”だ。一度は遊んだことがあるだろうか、適度な大きさの空き箱の上に紙で折った力士を向かい合わせ、トントン、と箱を叩くことで力士たちが振動で動き、戦わせる遊びだ。

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しかもただ戦わせるに飽き足らず、大きなものや小さいもの、細めに作ったものや少し足元の不安定なものなど個性豊かな力士たちを20体ほどこしらえ、それぞれにしこ名をつけ、番付まで用意した。巡業させたのだ。相撲取りが夢なら身体のひとつやふたつでも鍛えてみれば何かに繋がったかもしれないのに、幼稚園児の趣味が”巡業”。渋すぎる。

 野球も好きだった。当時福岡に住んでいたため福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)を応援し、何度か福岡ドームにも足を運んだ。そんな野球少年だった当時ハマっていた遊びが、”架空の野球チーム同士を頭の中で戦わせ、スコアを書き、新聞のスポーツ欄を作る”だ。

一言でなんと説明すればいいのかわからない。とにかく独特だ。勝利投手やホームランを打ったバッターまで記録し(新聞に書くので当然だ)架空のペナントレースを展開させていた。インドアにもほどがある。 

 とはいえずっと家に居る子どもだったかと言えばそうでもなく、実際に取り組んだスポーツもある。サッカーだ。折しもそのころJリーグが開幕し、サッカー熱は最高潮。地元のサッカークラブにも通った。ではボールを蹴ることにすっかりハマりその後中学高校と続け快速FWとして名を馳せたかというとそんなわけもなく、やがて面倒になり1年半ほど通ったのちに退団。それでもサッカーを好きだった少年がハマった遊びがある。それが、”まだJリーグクラブの存在しない地域を探し、そこをホームグラウンドとした架空のクラブを作り、頭の中で戦わせ、新聞のスポーツ欄を作る”だ。

ただただスポーツ欄の充実していく幼少期だった。

過去と未来の距離について

昨日ジュラシックパークが地上波で放映されているのを見かけた。恐竜サウルスで育った人間としては彼らの欲動感溢れる映像だけでも心が踊る。
※恐竜サウルスはかつてディアゴスティーニが発刊していた恐竜をテーマにした週刊誌だ。毎週発光する骨が届き、最終的には光るティラノやトリケラが完成する。なぜ骨を光らせようとしたのかはわからない。

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ところで「ティラノサウルスには羽毛が生えていた」という一時期世間を騒がせた説が「やっぱり生えていなかったのではないか」とまた振り出しに戻りつつあるらしい。「結局よくわからん」というのが最近の見解のようだ。

かと言って前に進んでいないかというとそうではないだろうし、素人にはよくわからないけど、羽毛説が提唱される以前とは次の次元での「よくわからん」なのだろうと思う。
とにかくいろんなことが研究され解明されていく。鎌倉幕府の始まりも現在の教科書では「いい箱(1185)作ろう」とされている。いい国を志したはずの源頼朝は今やいい箱を作る工作おじさんとして紹介されているのだ。
こうやって少しずつ歴史の真実に近づいていく様は見ていて楽しい。未来になればなるほど過去に近づいていくのだ。こうしてどんどん過去と未来との距離がなくなっていき、終いにはふたつの距離がゼロになる。ゼロになった日、それはタイムマシンが完成した日なんじゃないだろうか。

すぐ寝る店主のハンバーグ屋

ふいに新宿で何度か訪れたハンバーグ屋のことを思い出した。味は確かだけどすぐに寝てしまう店主がやっていたハンバーグ屋だ。

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その店はJR新宿駅東口から少し歩き喧騒も落ち着く頃合いにちょこんと建つ古いビルの2階にあった。やたら角度のついた階段が待ち構えるそのビルは、何も知らず入るには少し勇気のいる場所だろう。

店主は多分50も半ばくらいのおじさん。おじさんの作るハンバーグはとても美味しかった。和風ハンバーグが好きだったのでそればかり食べていたが、ホワイトクリームのハンバーグもピンクペッパーがアクセントになっていたりと存外に小洒落ていて人気メニューだった。食後にはコーヒーが出され居心地もいい。ジュースは「J」と表記する。「オレンジJ」「パインJ」。独特だ。

当初はハンバーグだけだったのだが、カレーのメニューも追加された。元々この場所にあったのが人気のカレー屋だったため、間違えて入店してしまった人たちに向け用意したらしい。優しいのだ。かくいう自分もそのカレー屋をめがけてこの店にたどり着いたのがきっかけだった。

おじさんはのんびり屋だった。それも度を越すほどののんびり屋だった。客がいようが彼はいきなり寝てしまう。奥の椅子に腰掛けカクカク眠る。一人で切り盛りしている店なのにだ。お勘定も適当だ。我々が何を食べたかよく覚えていない。レジも苦手らしい。この店で無償でたまに働こうか…そんなことを同行者と話したような気もする。

気まぐれな店主なのでいつやっているかもバラバラだ。友人達を連れてきては閉店日で諦めたのことも一度や二度ではない。気まぐれだから…そんなことを思っていたら次第に開店しているときが日に日に少なくなり、ある日忽然と消えてしまった。とても寂しかった。

いまおじさんはどこで何をしているだろう。あれほど美味しいハンバーグを作れるならどこかでまた店を出していてもおかしくない。

今のご時世インターネットで本気になって調べれば彼がいま何しているかもわかるかもしれない。ただ、あのおじさんにはいつかどこかで偶然、たまたま会いたいなと思う。よくわからないけど、またひょっこり会えそうな気がしているのだ。

なんて食べやすいんだろう、バナナ

今日、”一番好きな果物”の話になり(言葉にすると幼稚園児の会話みたいだ)、パイナップル?意外とさくらんぼ…?などとあぐねたのだけど、”一番食べる果物”という質問ならそれは簡単で、答えはバナナだ。

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そもそもおれはバナナを果物扱いしていないというか、カロリーメイトの類というか、要は安くて小腹を満たしてくれる嬉しい存在なのだ。そこに果物特有の高揚感やブルジョワ感はない。しかしバナナは本当に食べ物として優秀だと思う。

何より彼のすごいところは”食べやす過ぎる”という点だ。本当にこれはすごい。まず包丁がいらない。この時点であらゆる果物より優れている。剥くだけでいいのだ。そしてめちゃくちゃ持ちやすい。人間の手で持ってくれと言わんばかりのその収まりの良い優れたフォルム。この差別化で剥いて食べられるみかんなどのライバルを一気に蹴落とす。彼らには持ち手がないのだ。しかもたまに妙に剥きづらい個体もある。バナナはすべて剥きやすい。

一房もぎ取り、手を汚さぬままスマートに皮を剥き、食べ終わったらその皮を捨てればいいだけ。しかも自らの皮の色で”いま食べ頃だぜ”と示してくれる親切機能付き。こんなものが自然界で自生しているなんて奇跡ではないだろうか。未来から来た果物なのではないかとさえ思う。

ぜひ今後バナナを手にした時はその食べやすさに想いを馳せてほしい。いつでも彼らは人間たちに食べられるためスイートスポットを用意して待っているのだ。

おれのドトールのカードがレアカードでした

気づいたきっかけは自分のドトールバリューカード(以下:ドトールカード)のランクを調べた時でした。

ドトールカードは会員登録すると前年の購入金額に応じて下の画像のようにランクアップするんです。で、おれも結構通っているし今のランクはなんだろう、もうゴールドに上がっているのでは…?よもやプラチナ…?と会員ページを調べたのですが、どこにも表記がない。なんだなんだとよくよく見たら「ステータス:ブラック」とある。

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はて、ブラックとは…?なんかブラックリストみたいなものだろうか、もしや期間限定の「ミラノサンド鹿児島県産黒豚と夏野菜ソース」を店員と同じ呼び方で「鹿児島サンドください」とか通ぶって常連ヅラしてたから目をつけられたのでは…と恐る恐る検索したらある一文が目に留まりました。

ブラックカードは常連客だけに配布された激レアのカードです” 

 常連だけに配布…!?よく読んでみるとドトールカードが開始されたとき、各店舗独自の判断で常連客にのみブラックカードが渡されたとかなんとか。おれは知らない間に独自の判断をされブラック会員になってた。マジなのかよ。

で、このブラックカード、チャージ時に10%ポイントが付きます。めちゃくちゃじゃないですか、2,000円チャージしたら200円分ポイントが付くんです。”年間5万円使う”ことで同じポイント率のプラチナランクになれるのですが、そちらはその年限りなのに対して、ブラックは永久に10%ポイントがつくらしい。

道理でめちゃくちゃポイント溜まると思ったー!なんかおれのカードひとより黒くない…?って思ったー!それもそのはず、おれは独自の判断でブラックカードを渡されていた。

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ちなみに見た目はこんなのです。

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通常はこう。 

 「ドトールカードめっちゃ溜まるから買いなよ!」とかみんなに触れまわっていたけどごめんなさい、おれがブラックなだけでした(でもブラックじゃなくてもスタートから5%ポイント付与ってすごいですよね…?)。

それにしても驚いた。普通こう、上からじゃないけど、いつもご利用いただいてるので特別待遇させていただきますね!みたいなアナウンスあるじゃないですか。ない。「あの子のこと好きだけど、あの子、おれのことどう思ってるかな…」とかドキドキしてたらすでに靴箱にあの子からのラブレターが入っていた、みたいなことじゃないですか。

おれは愛だと思う。ここに愛があると思う。ドトール、共に生きよう。明日も会いに行くよ、ブラックカードを持って。