東西線と南北線に納得する

先週仕事で仙台へ赴いた。

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”仙台はパラレルワールドの東京だ”という上の記事内で縦横に筋交う東西線南北線について触れたのだけど、そこをもう少し話したかったのでもうひとつ書きます(また最終的に東京の話になるので関東圏以外の方にはつまらない話かもしれない)。

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この路線図を見たとき、めちゃくちゃわかりやすくて思わず撮ってしまった。仙台を中心としてそこから東西に延びるのがブルーの東西線。南北に走るのがグリーンの(線名が隠れてしまっているが)南北線。当たり前といえば当たり前だけど、そうだよそうあるべきだよ、と膝を打った。

気になって他も調べたら北海道にも東西線南北線があるらしい。それがこちら。

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同じく、中心地である大通駅から十字に東西線南北線が延びている。わかりやすい、いいぞいいぞ北の大地。

で、問題が東京メトロだ。それがこちら。

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数が多いのは仕方ない、それは別の話だ。問題は中心地。ここまでを鑑みれば東西線南北線が交わるのは東京駅ないしそれに準ずる場所であるはずである。しかし両者を指でなぞっていくとたどり着くのは…飯田橋駅なのだ。

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飯田橋…?

いや、それなりに便利な街であるのは認める。認めるけど、東西と南北の中心が飯田橋となると、関東圏に住んでいる方は首をひねると思う。ラムラも恐縮するだろう。

じゃぁ東京はどこかというと、

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ここだ、右下に追いやられている。

そもそも一路線しか通っていないこの疎外感がわかるだろうか。東京駅に何があったのか。ちゃんと調べれば理由があるのだとは思うし、鉄道好きな方には常識なのかもしれない。ただ、今まで東京の地下鉄になんとなく抱いていた違和感はこれだったのか、と仙台でようやく気づいた、という話だ。

原理はわからないけど冷え性がなくなった

まずはこれを見てほしい。

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右足だ、逆側には左足もあるぞ

いきなり足など見せてくれるなとお思いだろう、おれもそう思っている。見て欲しいのはもちろんおれの足ではない、謎の茶色いプロテクタだ。

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実は重度の冷え性である。この時期は足まで血液が回らず、裸足でいるとやがておれの足から寒波が発生し、南下して近畿地方に記録的大雪をもたらす。

かといって靴下を履いて寝るのも蒸れて気持ちが悪いし、どうしたものかと目に留まったのが冒頭で紹介した茶色いプロテクタ、その名も「ピンピン」なのだ。

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パッケージはこんなだ。足が笑っており、安心感がある

 ※念のため申し上げると 別にこれは広告記事でもなんでもないので、気になる方は「ピンピン 冷え性」などで各自調べてみてほしい。

上司への誕生日プレゼントに冬向けのものを調べていたらたまたま見つけて、個人用に買ってしまった。とにかく藁にもすがる思いだったのだ。

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正式名称は「磁気健康足心サポーター ピンピン」。70mTの永久磁石の力で足裏の血液が循環され血行が改善されるのだ。

うさんくさい。ちょっとうさんくさいぞピンピン。本来であれば謎の健康グッズなど見向きもしないのだけど、前述の通り藁にもすがる思いだったのだ。セールで2,000円くらいになっていたので「まぁ効果なくてもあきらめがつくな」とピンピンにもすがる思いで購入ボタンをクリックした。

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で、いまこうしてブログを書いている。つまりはなんだかすごい効果があった。全然足先が冷たくならない。通気口があるので蒸れない。なんでなんだ、すごいぞピンピン、すごいぞ永久磁石。

とにかくこのピンピンの良さを誰かに伝えたく、こうして筆を綴っている。もし冷え性でお困りの方がいたらあまり期待せずにすがってみるのもいいと思う。

仙台はパラレルワールドの東京

こんばんは、私はいま仙台にいます。"旅先で文章を書くのって粋なのでは?"というミーハーな気持ちからこのブログを書いているので、この記事の中身にはあまり期待しないでください。

とは言え仙台ってあまり"旅先"の雰囲気がない。仙台には旅先の雰囲気がない、という話を今日はしようと思う。

おれの中で仙台は『パラレルワールドの東京』なのだ。あまりに東京っぽい。そもそも近い。東京から1時間半もすれば着く。下手したら23区外より近い気がする。

すれ違う人々の雰囲気や装いも似ている。他の地方へ行くと明らかに喋り方が違ったりなんとなく出で立ちも関東のそれとは違うのだけど、この杜の都では標準語(標準語という言い方で語弊はないだろうか)が飛び交い、様相も東京のそれとおれには正直見分けがつかない。

地下鉄は青い東西線と緑の南北線が縦横に筋交い、大きな通りは銀杏が臭い。東京だ。東京の知らない大きな街だ。"へー、ここが立川かー"と言われれば信じる。

でも少し違うのだ。それが何かはよくわからない。少し寒い気候のせいかもしれないし、駅で見かける路線図などのフォントのせいかもしれないし、そういうちょっとした違和感が重なって重なって、それがパラレルワールドっぽさを醸し出している。そんな気がする。

なんだかみんな礼儀正しいのでおれは仙台が好きだ。いい街。

 

 

ペソ安にかきまわされた日々

ビットコインやらなんやら最近よく聞くのでおれもお金の話をしようと思う。NISAの話だ。

NISA(少額投資非課税制度)は2014年にはじまった、その名の通り少額からはじめられる”投資を始める人を増やそう”という大きな動きから生まれた制度だ(たぶん)。まあここでNISAがなんたるかを話す気は無いし、おれも詳しいことはまったくわからない。

そう、おれはまったく詳しくないのだ。

事の発端は父親。実家に帰った時、ふいに貯金はどこに預けているのかと訊いたきた。銀行だ、と答えると「そんな金利の低いところに預けていても仕方ない。NISAで口座を作れ、100%得だ」と言う。まるで進研ゼミの漫画の導入部分だ。おとなチャレンジだ。

NISAの存在自体は知っていたけど、とにかく面倒だ。日々株価の変動に追われるのなんていやだ、と答えると「おれが銘柄を選んでやるからすべて任せとけ、まずは100万円振り込め」と持ちかけてくる。ほとんど山賊だ。まぁでも確かに銀行の金利も低いし、彼もやる気があるようだから任せてみるかと了承し、口座を作った。※いまは1年間に120万投資できるけど、開始当時は100万円が上限だった

後日父から連絡があった。「メキシコにしました」メキシコにしたらしい。いま思えば普通はリスク分散というか、いくつかの銘柄に分けて投資してリスクヘッジするらしいのだけど、おれの100万円はメキシコに全額ドンだ。父曰くざっくり言うと、メキシコの通貨ペソの価値が上がる、”ペソ高”になるほどおれは得をするらしい。地球の裏側の異国に想いを馳せる日々が始まった。

 結論から言うと、ペソはどんどん下落した。いわゆるペソ安だ。なんだペソ安って、絶対にクラスでいじめられる側の名前なのに、ペソ安がおれを責める。よくわからないけど石油がどうたらこうたらした影響とかで、2015年の経済紙には”ペソ、史上最安値の更新が続く”との文字が躍っていた。

 実家に戻ると父親が(´・ω・`)この顔をしていた。「ごめん…」とのこと。その時点で確かおれの100万円は70万円くらいになっていた。おれは怒る気もなかった、そもそもあまり期待もしていなかったし、目に見えないお金に対する執着が薄いという弱点があったからだ。自信満々だった父親が所在なさげなのがおかしかった。

それからは特に価格の動向は追っていないので今どうなっているかはわからない。どうやら当時よりは持ち直しているらしい。やっぱりおれは投資には興味が向かないなと改めて実感した出来事だった。

 

で、これだけだったら”投資の下手な父親の話”なんだけど、父親自身の持ち株は好調らしく、年に100万単位で利潤を出しているらしい。毎日パソコンとiPadをにらんで投資を楽しんでいると教えてくれた。息子の100万にもそれくらい情熱を持って接してくれよ。

人生の許容量を超えた食べ物、集まりました。

昨日募集した”人生の許容量を超えた食べ物”、さっそくいろいろ集まったので紹介します。

数の子
小さいころはおせち料理が苦手だったので、お正月は数の子ばかりをたべていたんですけど、数年前に突然数の子のことがどうでもよくなってしまい、いまではたべものに見えません
 
食べ物に見えなくなってしまった、という許容量の極致みたいな話。おれあれ無限に食える気がしてるんですけどやっぱり限界があるんですかね。とはいえ正月以外であまり食べる機会なくないですか…?
 
都こんぶ
小さい頃大好きだったおやつなのですが、祖母がわたしの欲求を超える頻度でわたしのために買ってくるので、次第に欲しなくなってしまいました。
 
おばあちゃんが我が孫へのかわいさあまって都こんぶを与えすぎてしまった、といういいエピソードありました。甘くて酸っぱくて結構独特ですよね、都こんぶ。許容量の閾値が低そうな食物。
 
給食に出てたアーモンドフィッシュ
友達の分まで持って帰ってぽりぽりやってたらある日突然食べれなく。
 
ありました、ありましたねアーモンドフィッシュ。あれ多分あの小分けの量だから美味しく食べられるんですよね。あの小魚の甘さが許容量のトリガーのような気がします。

 

かぶき揚げ
小さい安いのと大きい高いのとそこそこ高いのをひたすら食べていたら高いのをたまに食べたとき以外全く美味しさのパッションがはじけなくなって昔はあんなに…と毎回切なくなります。
 
食べ物自体というより味に対してのハードルが高くなったパターン。味覚の発達は出会いであり別れでもあります。おれは雪印のコーヒー牛乳が飲めなくなりました。
 
サラダチキン
夏バテ時に毎日食べていたからもう全味ダメ
 
全味かー。けっこう種類あるけど全味なのかー。サラダチキンわりと好きですけど、おれも若干許容範囲の半分くらいまで到達している感じがあります。
 
無印良品のチョコマシュマロ
実家から出たすぐの頃、「そっか、もう家族とお菓子をわけっこしなくてもいいんだ!」(くいしんぼうな家族だったので・・・)と思い、モリモリ食べたところ、2袋目の途中で急に食べれなくなり、ちょっとさみしくなりました
 
そもそもおれのなかで2つくらい食べたら許容量超える食べ物なんですよね、マシュマロ。ひとりで何してもいいんだ、なんでも食べていいんだ、という実家離れの高揚感と許容量を知った寂寥感の高低差がいいですね。
 
他にもヨーグルトレーズン、チャイティーラテ、ヴィドフランスのチョコフランス、パクチー、マヨネーズかけのブロッコリースガキヤのラーメンなどいろいろ集まりました。傾向としては甘みのあるものが多いのだろうか?
いい話が集まってほくほくしました。ご協力いただいた方々ありがとうございました!

 

人生の許容量を超えた食べ物、ありますか?

昨日友人とした話がおもしろかった。”人生の許容量を超えた食べ物、ありますか?”という話だ。

なんかある気がする、と思い出せたのがひとつ。はなまるうどんのコクうまサラダうどん(胡麻ドレッシング)だ。500円くらいで食べられるしなんだか健康的な気がするし何より単純に美味しかったので週1くらいで食べていたのだけど、ある日突然食べられなくなった。あんなにありがたがって食べていたのにどうにも箸がすすまない。これが”飽き”か…!と恐ろしく思った。間を置いてチャレンジしたがやっぱり受け付けられず、それ以来一度も食べていない。

友人は”もやしのポン酢がけ”と”玉ねぎにバターを乗せてチンしたやつ”らしい。どちらもわかる気がする。バクバク食べられるけれど確実にどこかに飽きのトリガーがある料理たちだ。「毎日食べていたら突然飽きて…」毎日食べちゃダメだよ。

最近はローソンだかの”照り焼きチキンと卵のサンド”が「そろそろ許容量を超えそう」らしい。「最近毎日食べてるから…」毎日食べちゃダメだよ、学んでよ。あと、超えそうって思っているなら自粛しなよ。

大好きだったものが突如受け付けなくなる、という悲哀というかストーリーがあるのが面白いのかもしれない。みんなの”人生の許容量を超えた食べ物”の話も聞いてみたい。ブログへのコメントでもTwitter(@1106joe)へのリプライでもいいので、お便りお待ちしてます。

バルミューダの炊飯器を買いました

バルミューダの炊飯器を買った。

それにあたってブログを書こうと思うが、機械音痴かつ味覚音痴のおれにはいわゆる家電レビューなどとてもじゃないが書けない。炊きたてのごはんおいしいー!で終わってしまう。そんなこと日本人全員が知っている。

今日書きたいのはバルミューダではなく、今まで使っていた炊飯器のこと。

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 我が家の炊飯器は1999年生まれだ。実家で長らく働いていたが、家族が大きくなってからは“さすがに3合炊きでは…”ということで大きな最新炊飯器にその役目を奪われた。それをおれの一人暮らしが始まるタイミングで回収し、きれいに磨き上げて今日まで粛々と米を炊いてきた。思い出深い炊飯器なのだ。

とはいえ彼がとうに限界を迎えていることは明らかだった。単純に美味しくないのだ。冷凍なんてした日には目も当てられないパッサパサの出来栄えなのだ。まぁでも彼を責められるわけもない。何せ1999年製。聞けば炊飯器の寿命というのは5,6年なのだという。彼は18歳。人間でいうと250歳くらいだろうか。250歳に米を炊けなんて非人道な話だ。

そういったわけでついにこうして最新の炊飯器を我が家に招き、引導を渡すことにした。彼にとっては2度目の引退というわけだ。マリノスドゥトラ阪神の遠山を彷彿させる充分な働きだった、カムバック賞をあげたい。

もちろんバルミューダの炊飯器は比較にならないくらい美味しい。炊き上がり前に不安になる程煙をあげることもない。それでも彼を捨てることができずにまだキッチンの床に置いてある。なんだか寂しいじゃんねぇ。内釜だけでもお米を洗うボウルとして3度目の人生を歩んでもらうつもりだ。